スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

借りぐらしのアリエティ 2010年 米林 宏昌監督 the secret world of arrietty

ステキですね。この監督は、思い出のマーニーも監督しました。本当、ウットリですね。

ただ、何度もテレビ放送していたのに、本気になれず、途中でリタイアーばかりしてたのです。

背嚢を背負ったような父親に、少しギョッとしたが、よく見れば、ケビンコスナーばりの美男子でほっとしたよ。ママは、なんだか近所のうるさいオバチャマ風で、どうしてもママには見えませんでしたね。お手伝いさんの声は、樹木希林です。

 

心臓に欠陥のある、薄命そうな男の子がでてくるの。自分でも、もう長くないかもと、おもっている。

その家の縁の下に、住み着いている、小人の妖精が、ウロウロして、ついつい、男の子に見つかってしまうのです。そして、この病気の元気のない男の子と仲良しになっていくのだが、この家の先祖には昔から言い伝えがあって、小人を見たという、じい様などがいたのだ。

そのじい様も、小人に救われたとかいう、いい伝えがあった。

そういう下地があって、この妖精は、まあ、座敷童のような存在なのだろう。

 

この遠慮がちに動く男の子は、心臓が悪いために、老人のようにそろそろとしか動けないのだ

この少年の生活は、閉じられていて、したいこともできず、走ることもできない、一体何を信じたらいいんだ?まるで、心を病んだ人間にも近いものがそこには見えるのだ。心を病んだものは、やはり何もできず、人並みに、歩くことや、走ることもできない。

 

若くして身体に欠陥を持つことの厳しさと苦悩は計りしれない。

 

  まあ、良かった。この少年はきっと元気になって生きて行くことができるだろう。

アリエッテイのことも、決して忘れない。

スッポコはそんな風に楽観的に考えているのだが、どうであろうか。

 

この繊細なテーマの運び手の米林監督とは凄い人だと、感心している。

  

歌は セシル  コルベルという、フランスの、女の子。ハープも弾ける。

すごくテレビで 宣伝してたよね。異国少女の歌もよかったね。

 

 

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虹泥棒 1990年 ホドロフスキー監督

おもしろい題名ですな。それに出演者にも注目ですよ。ピーター  オトュール(アラビアのロレンス)が出ているのよね。気のおかしい、メレアーグラという初老の男である。こいつは、ドイツの大富豪の、甥っ子とかなんだが、何故だか、子供の時から変で、奇異な人間であった。

大人になっても、世の中に全く馴染まずに、地下の下水道のトンネルの中に住居を構え、世捨人となっている。ただ、彼には活動的な泥棒の相棒がいて毎日食べ物を地上からかっぱらって、彼に持って帰って来てくれた。こんな素晴らしい相棒は、実は、メレアーグラが、大富豪の親戚で、莫大な遺産が舞い込むと言うことを、きちんと計算に入れていたからであった。卵、ソーセージ、ワイン、肉に、フィシュと、生活の必需品を盗みで稼いでいた。相棒の名前ははデュマという。

メレアーグラは、地上にはほとんど出ずに、哲学的なことや、神のことなど考えて、優雅な暮らしを営むのだった。

一体どちらが主役なのか。やはりオトュールに軍配があがってしまうのだが。

彼には生活力が、ほとんど無くて、現実的なことはなにもできない奴であったが、監督は、こんな人間が描きたかったのだろう。

大富豪死亡という知らせを聞き、デュマは動いた。大富豪の家のあるドイツに行くためだ。外に出ると、恐ろしい嵐で70年ぶりの大洪水だというではないか、やっと汽車に乗ったが下水溝にいるメレアーグラのことが気になって汽車から飛び降り、彼のネグラの下水溝へと急いだ。しかし凄い雨だ。雨が水になって下水溝に流れ込む。もう手遅れかもしれないと思いながら、必死で下水の中を泳ぐデュマだ。

このゴウゴウと流れる水が、下水(ゲスイ)かと思うと、何かゲンナリなるので、綺麗好きな奥様には似合わない映画である。

野生児のスッポコでも、ええ?これ大丈夫かなと、すごく不安になる。ただ、レ・ミゼラブルのパリの

下水溝の場面を思い出して耐えるしかないのであった。

さて、今度は二人して水の中を逃げ惑うのだが、これがまた、ひどいので、大変だろうなーと心配になる。水で冷えて、肺炎にでもなったらどうするの?だけど二人ともとってもタフで、びっくりです。

ただ愛犬のクロノスの死骸を水に流してしまい、慌てるメレアーグラに、デュマは、犬はとっくに死んだんだよと、叫ぶ。

死んだ犬が、骨と毛皮だけになってもまだメイアーグラは、生きているときのように可愛がって片時も離さないのだった。

 

とうとう、大洪水の中で二人の別れの時がくる。デュマのみが助かりメレアーグラは、水の中へと消えて行った。

彼は欲を持たず、a paradise of  eternity  永遠の楽園を追い求めていた。デュマは、そんな彼のことが

本当は好きであった。お金目当てに付き合っていたのだが、最後には、見えないものへの熱い心が芽生えるのであった。

涙をたたえて、とぼとぼと歩くデュマの目に、不思議なものが見えた!

メレアーグラが、可愛がっていた犬のクロノスが、川を泳いでいたのだ。

クロノスはとっくに死んだはずだったのだが、デュマの方へ、どんどん泳いでくるのだった。

デュマの喜びようといったらなかった。まるで、相棒のメレアーグラが生き返って来たような大騒ぎである。

奇跡のような犬と共に、デュマは橋を渡っていく。一人と一匹は、もう、なにもいらなかった。大富豪のお金なんか、必要としない。

空には、綺麗な虹が🌈かかっているのだった。

 

 

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カンディード ヴォルテール作 1759年

映画キャンディを観たことから このカンディードと繋がることとなった。キャンディはカンディードからきているらしいからだ。楽天主義の権化であるカンディードは、元は、72代も続くドイツの男爵家の甥っ子だったが、このすごいお屋敷でのうのうと育ち、大したお坊っちゃんであった。その家のいとこのキュネゴンドという絶品の美人娘といちゃついているところを見られて、突然屋敷を追われたのである。

一文無しで テクテク歩いていると悪い奴らにガレー船に売られ、奴隷としてひどい酷い扱いを受ける。風の噂では お屋敷の男爵始め、奥様も、可愛い娘も、形而上学の大家である先生も、皆皆殺しにされたと聞いた。カンディードも酷い運命の下にありもがいていたが、兎にも角にも、生き延びて冒険のような旅に出る。舟に乗って世界中を旅するうちに 、恋しいキュネゴンドは生きていることを知る。彼女を探して尚、旅を進めるうちに、南米チリのあたりで、幻の郷 エルドラドにつく。

黄金の人と言う意味があり その通りで あらゆる財宝が 山の様に存在しており、素晴らしい金細工の

品が並んでいるのだった。世界中の王様の財を集めても そこにあるダイヤモンド一つの値打にもならないと言う様な、金銀財宝の郷、伝説は本当だったのだ。ただし、現実では、フンボルトという探検家が 複雑な地形のチリの隅々を踏破し エルドラドなど存在しないと言い放った。

争いも、訴訟もない満たされた生活がそこには存在していた。趣味と仕事が一体になれる所であった。

理想郷といえばゲーテのウィルヘルムが着いた村でもやはり、素敵な暮らしぶりが、紹介してあった。

教育というもののの理想の姿が、生活と共にに存在する村で、子供たちはいきいきと生きるのだった。

そんなことを思い出していたら。

 

そこを発つ時に、沢山の宝石をもらったので もう、大長者になった気分であったが、後々の旅で ほとんど失ってしまうのだった。

映画キャンディでも似たような場面がいくつか出てきて 納得するのであるが。

 カンディードの眼前で縛り首にあった形而上学の先生も、キュネゴンドも皆が生きていて いっしょに旅をすることになった。外科手術で、治したそうであるが、どちらにしても、能天気のパレードが続くのである。

この形而上学はそれもはんぱのない性善説であり、楽天主義の信念で ものごとをつらぬくのである。

しかし、それもあながち間違ってはいなかったようだ!

今で言う、プラス思考と言うものだ。この時代に、これ程のプラス思考が小説の中であれ、重大視されていたと言うことは意味があるだろう。何かスカッとするから、気持ち良い。

 

ヴォルテールは何故だか、フランスを批判していて パリなどと言う街はみながワインを飲み、呑んだくれて、恋の歌ばかり歌っているおバカの街だといっている。いつでも、恋をした、別れた、引っ付いたとというようなことしかできないんだと、絶望的な見方をしている。まあ、自国のことだから どんなに腐してもいいんだろう。

 

さいごには、みなして、農業を主にして一緒に暮らすようになる。野菜を作っては、市場へ売りに出し、キュネゴンドはおいしいお菓子を焼き、婆やは、布を織るのだった。

エルドラドから持ち帰った ダイヤモンドも、もう無いが、土を耕す幸せな生活が、そにはあった。

結局 、青い鳥は足元にいたというわけだ。

ヴォルテールは、1694年に、生まれ、84才で亡くなっている。これはかなりの長生きであろう。

 

カンディード

 

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マルサの女 ⑵ 1987年 伊丹十三監督

この監督は何というか、変わっている人である。だが自ら死んでしまった。天才とは辛いものなのか?

1987年橋でにバブルが弾けるという言葉が巷に浸透していった時代であった。田舎ではまだまだピンとこない話であった。まずバブルというもの自体を見たこともなかったから。

マルサの女は税金を集めるというか、脱税したものを取り締まって、金を出させる役人の女のことである。

今回は、第1話よりさらに、煮詰まった様な濃厚な話になっている。それもそのはず、悪者には三國連太郎を配し、主役は、もちろん、妻の宮本信子である。

宮本は長く監督の妻としてまた二児の母として主婦に徹して生きてきた。味にやかましい夫の料理を作っていたという風に思われていた。

監督は、妻と期が熟すのを待っていた。

 

そしてまた夫の監督と共に、表舞台に再来した女優だ。長野出身の宮本は、昔から奇人変人の女優で他より一枚も二枚もぬきん出たものがみられた。若かりし宮本はとてもコケティッシュで、いわゆる文化の先端を走っているランナーの様に見えるのであった。その天然の才には、何かただならぬものがあった。懐かしいなあ!それも監督の演出であったのか?!

ただ、映画では、監督の考えだろうか、その天然は影を潜め、普通のおばさんんの様に振る舞う役が多かった。

監督は自分自身が普通の人ではなかった故、普通の人に憧れていたのかもしれない。

映画に出てくる宮本信子は、スッポコが知っているシュールの極みの様な女ではなくなっていた。

アレー?!、なんでだろ?

 

内容は何か複雑でよくは分からなかったが、悪者が集まっては金の事でゴテゴテと談合し、大金が懐に入ってくる様に悪巧みばかりしているのである。大金が、自分の所に入るようにうまい手を あれこれ打って自分たちのみが儲ける様にしているのである。権力を使うもの、ヤクザを使うもの、まるで 亡者の列である。頭がいいのか悪いのか、誰ぞ知らぬや。

三国は宗教法人の名の下に、無税となり、それを隠れ蓑として、多くのラブホテルや、スナックバー、また、ヤクザを使った地上げの会社などを営業しており、多額の収入を脱税していたのである。それをつきとめるのも、またマルサにとっては至難の技であった。まあ、普通の人には無理であろう。

音楽もノリノリで、打楽器とホイッスルとが、リズムを刻んでドンドンガンガンおもしろい。

下っ端のものは、口封じに殺されて、上のものはますます肥え太る。現在の政治を見ている様だ。

発展の名の下に肥え太るものの企みは恐ろしく誰もとめることもできない。生き物のように止まることを知らない。国を街を村をどんどん飲み込んでいく。末端を切っても、上に行くほど中心に行くほど悪く腐っているので、つまり、忖度の網の目で繋がった輩の仕業とあらば、そう簡単には、

誰も、その木が切れないのである。いわゆる呪われた木だ。切ったものに災いが。

ワイワイ、賑やかい映画だったが、なあんだ、こんなものか、観て損したなあと思わせない伊丹監督の映画の情熱が集まった作品だ。

 

 

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