スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

大統領の料理人 2012年

コレは、ドタバタ劇か、料理映画か、サッパリわからんちんの映画でした。

エリゼ宮殿で仏大統領の料理番に抜擢された女の話だが、この女は、エリゼ宮に長くはいなっかった。

宮殿の栄養士や、執事などにゴタゴタ言われたりして、思ったようにならないことが多くて、辞職してしまう。

そして南極に渡り南極の基地の料理番になる。不思議ちゃんである。南極の基地でこんな地の果ての野党どものために一生懸命に料理して喜ばれる。がここでも何かよく分からない違和感で主人公の行動がみたされている。なんの行動かなんのための行動かはっきりせず、ただもごもご動く主人公だ。

きっと、女優にもわかっていなかったと思う。

 

だがこの南極もオタサーの姫にはすでに辞職の時となっていた。なんですぐ辞めちゃうのん?理由もわからないまま、映画は勝手に進んで行くので、厄介だ。

エリゼと南極と二つの場所を行き来する画像がウザイ。まとまりが無い。頭悪すぎ。

何も作ってない感があふれすぎている。

一つの料理を丁寧に、つくって行く過程が抜けているので、何を作っているのか、分からなくなるのだ。どこどこ産のアスパラガスとチヂミキャベツと、どこだか産のバルサミコを、とか言ってたな。ばきゃやろう、観客の目をなめているのかい。どうせフランス料理などわからないと思って。

いつも何か作っているようで、なにも完成しない料理ばかり。

料理の香りも味も伝わらない料理に驚くばかり。フランス料理ってこんなに気合のはいってないものなの?よくわからない。

この女、いかさまコックか。映画の中心となるであろう料理長や他のコック達との争いも描かれていない。色々な点であてがはずれてとまどうスッポコ。

そればかりか、広いエリゼ宮殿のどの辺りで料理作ってるのかとか、部屋の立ち位置とかも何も分からないので、なぜこのような小さな部屋で、こってんこってんパイなど焼いて、どこに持って行くのか、おやつか朝食か昼食かってなところだ。なにもわからずじまい。主役が何をしているのか意味も目的も見失った作品かと思われる。

料理する者は、まず、目が座っているものだ。じっと完成までの行程をシュミレーションして、完璧を期すために、息を凝らして集中している。舌に神経を集中している。食材の色を見極めるためにまばたきもしないとおもうが。この女、ヘロヘロしておしゃべりばかりで、きびきび動こうともしない。こんなトロトロしていたら、食材もも腐ってしまうわ。

 

大統領は、ミッテランに仕えたというこれは実話らしいが、ほんとうはもっと軍人みたいな女だったんとちゃうの?そうでなければ、宮殿の料理などできまい。大統領の来賓たちを素敵な料理でもてなすことも大切な仕事だから、うかうかしてはいられないはず。

なのに、常にウカウカしているようにみえる映画でした。ツラかったあー。

主人公の女は、まず中年の女だが見栄えが良くないんだ。この女優さんには本当に悪いのだが、見栄えが良くない。

口が避けたように見えるのはどういうことだ?うん?

口裂け女か?この人には本当に悪いのだが、口裂け女に見えて仕方のない映画。

低予算、逃げ腰、やる気ないのにアカデミー賞ねらってる。ヘンテコリンでバラバラのジグソーパズル。ポンポコピー

 

 

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クロワッサンで朝食を 2012年 エストニア フランス ベルギー 製作 ジャンヌモロー主演

ジャンヌ モロー主演の映画だが、監督はエストニアの人らしい。久々に見たジャンヌは、既に85歳の高齢で現在は89歳にもなっている。老体を隠すわけでもなく、しかしエレガントなガウンや、洋服をまとい未だに女王然とした風格を保ちこの映画に貢献した。ジャンヌは、ピエールカルダンの恋人だった人で、ファッションには、とりわけ敏感で、ファッションと人生が、一つになったような老女になっていた。アクセサリーもかっこいいし、外出用のバッグもカッコ良すぎる。アクセなどあのようにいやみなく身につけれる人は、世界中にもめったにいませんよ。王族にしたってね。

それに太った腹やお尻などを無理やり隠していないところがすごいと思って見ていた。細い足の女優だったのになぁ。

顔はまるで、女ミックジャガーだよ。芸術を極めていくと、こんな顔になるという見本のようだよ。

 

実はこの映画は、わたしが紹介しているような長ったらしいものではない。

短編ぽい映画で手軽な感じのものだ。ジャンヌモローが出ていることが問題なのだ。

 

ある日、一人暮らしの老女ムラのところにお手伝いさんアンナがやってくる。老女ムラはプライドの塊で傲慢でいつもお手伝いさんを困らせては辞めさせていた。

 アンナは、この老女が、孤独であることが気になった。誰とでも喧嘩してしまうムラ。

ある日、アンナがカフェにムラを久しぶりに連れ出して、楽しませようとしたのだが、カフェのオーナーに冷たくされて、じゃまものあつかいにされてしまう。それを悟ったムラは自分からカフェを出て行く。

アンナの計画は失敗してしまう。 結局ムラは既に過去の人であった。このカフェはムラの昔の恋人のカフェであった。ムラが昔資金を出して作ってやったものだった。いまでは店の客層も変わりムラのいる場所はなくなっていた。

孤独な老人、死ぬのを待つばかりなのか。こんな人生ってあるのか。

アンナは、ムラの昔の友人達をアパートに呼んだ。だがやはり、大げんかになり、友情は決裂してしまう。ここで、すこしわかったのはムラは故郷のリトアニアの仲間の間では有名な人物だったらしいことだ。歌手?かなにかだ。

この友人の中になにかすごい女優さんがいたが、こういう人がヒョッコリ損得抜きで出てくる映画ですよ。すごいわ。

さて、老女のとても耐えられるはずもない深刻な孤独。友達もいない、旦那も子供もいない。

まじ、これはわたしスッポコの未来の姿ではないか。私も利己的で疑い深く人間嫌いで冷たい人間だと思われていると思う。誰もスッポコに寄り付かない。でも、ついつい割り切ってしまう。ムラとおんなじだ。でもこういう老人て意外とポピュラーかもね。多いんだよ、きっと。

邪険にしたカフェのオーナーは格好の良い男で昔のムラの若いツバメだった。別れた今でも、本当はムラの高齢を気にしていた。彼なりの愛情であろう。

定期的に彼女のアパートを訪れ、アンナを紹介したのも結局彼であった。

ムラもう一人では、上手にくらせないほど高齢になっていたからだ。

 

しかしアンナは、ムラの孤独を埋めようとして何度も失敗してしまった。その結果、手伝いを辞めて、このアパート出ることに決めたのだった。夜明けに、エッフェル塔を見て、クロワッサンを頬張るアンナは、パリの街や、ムラのことがなぜだかとめどなく思い出されてくるのだった。

クロワッサンは多分元気が出る食べ物なんだろうね。パリとは切ってもきれない。これが言いたかったんかい。

ムラは、やはり利己的で冷たい人間であったのだろうか。

いやそうではないだろう。

ムラは、行き場もなくて、再び帰ってきたアンナを暖かく迎え入れたのであった。

老女はアンナがカフェのオーナーとできてしまっている事をもう既に知っていた。そんなことが、わからないような鈍感な女ではない。ムラはアンナを受け入れた。

自分よりも若い者たちに二歩も三歩も譲ったのであった。

これは老人の弱音ではない。老女の精一杯の愛情と知恵であった。

もともとジャンヌモローは死刑台のエレベーターなど冷たいクールな女を演じてきた。

見ていても本当に利己的な女と言う印象が強いのである。

これは女にとってはある意味とても損な役である。彼女はそんな、嫌な人格の役に常に抜擢され長い間ずっとそれを演じてきた。彼女の容姿からそう見えるのも否めない。誤解された真実が今になって花を咲かせたのであろう。

見事な大輪の花である。

今までスポコもジャンヌの事をずっと誤解をしてきた。

この映画のように、世間の人々がムラのことを冷たい人間としか認識できなかったように。

ジャンヌモローは、なんと利己的で嫌味な女だろう。しかしこれは彼女の仮の、職業上の姿であったのだということが、初めてわかった次第である。

ジャンヌは、長年、この風評に悩み耐えて生き抜いてきたのかもしれないではないか。

この世紀の大女優(有名人という意味)がである。

彼女はトリュフォー監督とも友人であり、映画を撮っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイピスト 2012年 フランス映画

いなかの若い娘が、パリのある保険会社の秘書になる。その中小企業の社長は彼女のタイプの才能に気づき、自分で指導してやり、ドンドン優勝に導いて行く話。

小さな町で優勝して、今度は大きな大会、全国大会と進みフランスでも優勝する。

いろいろな策で練習するうちに、ムスメと社長は近づいてゆく。だがお互いに、うそぶいて、無関心を装う2人だった。

社長は、本気で彼女を優勝させることに夢中になる。目指すは世界大会での優勝だった。

ピアノに ランニング と多面的に取り入れた特訓、それを必死に耐えてゆく彼女でした。

それもこれも、愛する社長のためなのか。2人の恋は実るのか。

ついに世界大会の日が来た。対するは、アメリカのチャンピオンの女である。キザなメガネをかけて見下したようなポーズを取っていた。

こちらは!青ざめてオドオド顔である。

三回戦で戦う二人。戦いは、ラジオで放送された。故郷の家族や、会社の皆が、緊張してラジオをききむさぼる。

三回戦目で、娘ローズは、昔から使っていたタイプライターを持ち出してきてデーンと舞台に置く。

それを使って、ローズは、目にも留まらぬはやさで、キーを打つのだった。社長と練習してきたなつしい機器。そして、君は僕の大切な人という社長の告白。これらがローズに力を与えたのだろう。

1分間に500のキーを打つというのはどういうわけだろう。

見ているものたちは、生唾を飲み込み 言葉も失って見守り続ける。社長本人も、ローズの早打ちに、クラクラして足を踏みしめるのだった。

勝ったのは、ローズであった。

二人は舞台の上で 抱き合い愛の言葉をかわすのだった。ジュテーム。ジュテーム。

故郷のダディも、会社の人皆がローズの快挙を喜び合った。結局、この中小保険会社の宣伝になったのだし。

単純なストーリーなので、誰でも楽しめると思う。

社長は、だれか知らないが、スタイルが良くてダンスがとてもうまいと思った。

それが売りの人だが、この人フランス人?って顔だ。スマートになったシュワルツネッガーに似ているかもな。いや、ロマンデュリスというフランスの俳優であった。ロマンなんていう名前がスゴイわ。

久々にフランス映画を見たね。以外と軽いミルフィーユのような味わいに仕上がっていて、フランスも低迷からぬけだそうと色々妥協策を練っていると見た。しばらくはこの線でいってもよいだろう。

 

 

 

 

タイピスト!(字幕版)
 

 

 

 

 

素敵な相棒 フランクじいいさんとロボットヘルパー 2012年

一人暮らしのジイさんは、さあ、八十ぐらいかなあ、でもまだ歩けるんだよ。これは強いわ。

自分で動けるうちは、万能の神と同じだものね。スッポコも動けなくなる日が怖いのだ。

動けなければどんなに楽しい趣味があっても何も出来いのだろうから。人の支えがなければね。

爺さんの子供たちもおいたおやのことをおもい、思案に暮れていた。

施設に入れてしまうのは、はばかられた。西洋ではそう言う事が罪であると見なされる風潮があるらしい。

息子はついに、ヘルパーロボットを、送り込んできた。日本の、アシモような愛らしいロボットである。家事もガーデニングもなんでもじょうずにこなすのであった。

まるで人間だ。 しかもソフィストケートされた良い男って感じだ。

じいさんは、近くの図書館に通うのが日課であった。

そこには、美人の司書がいて親切にしてくれるのだった。

ところがこのじいさんは、実は昔は大泥棒でムショに10年以上入っていた人物である。しかも脳の病気でなぜか過去のことを忘れて空白の時間を持っていった。そして、図書館の司書(スーザンサランドン)が実は奥さんであったことをすっかり忘れているのだった。この役に貫禄のサランドンを持ってきて、成功であった。落ち着きのある女司書で、じいさんが、自分のことを忘れている事をも、受け入れていた。だが、何かと親切に声をかけ目をかけてくれていた。自分が妻だったとは言わずにだ。

ある日、図書館の本がすべて、デジタル化されることになった。そしてじいさんは、紙の本を知っている証人であると言われ馬鹿にされる。その悪口を言った若造の家に、高価な宝石類がある事を知ったじいさんは、昔の癖が出て、宝石を盗んでやろうと目論むのであった。生意気な若造をギャフンといわせてやるために。

その相棒として、ヘルパーのロボットが選ばれた。ロボットは最初は嫌がっていたが、だんだんと

じいさんの言う通りに動くようになった。じいさんが生き生きとしているのを見て、じいさんに協力しようと判断したのだ。

そして2人はついにたくさんの宝石を盗み出すことに成功した。

ところが、警察がじいさんのことを嗅ぎつけて、じいさんの家にやってきた。じいさんは慌てて宝石を

隠してしまう。

息子と娘もやってきて父親のことを悩ましく思うのだった。思えばこの父親はほとんど家にいなかった。

お父さんのいない家庭でお母さんと生きてきたのだった。寂しかった子供時代を送り心に傷を持っていたのだった。しかし今は年老いた父を許していた。泥棒だったことも知っていた。しかしそれも許していた。じいさんは脳の病気で妻を忘れていた。妻のことを全く覚えていなかった。そのようになった父親を責める事はできなかった。爺さんも苦しかったのだろうというわけだ。

じいさんは、子供らに散々心配をかけて、とうとう、逃げ延びて、老人ホームに入ることになった。警察はロボットのメモリを見ればじいさんの泥棒の証拠があるはずだと考えたがロボットは自分のメモリを消すようにとじいさんに頼むのだった。そうすればじいさんは警察に捕まらないと判断したのだ。しかしメモリを消すことは、じいさんとの関係を消してしまうことになるので、じいさんは消すことを

ためった。しかし背に腹はかえられぬとあって、メモリを消してロボットと別れたのだった。

それはとても寂しく苦渋の判断となった。なぜならロボットとは、本当の人間のような友達になっていたからだ。なんでも話し、どろぼうまでしたのだ。立派な相棒と呼べた。

 

その後、珍しいことには家族が集まった。

 

老人ホームは、ちょっと綺麗な場所にあった。身体の健康も良くないじいさんは、家族のいう事を聞いて ホームでの暮らしを選んだ。彼は老人ホームで友人のようだったロボットヘルパーの事を、時々懐かしく思い出すのであった。