スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

エヴェレスト バルタザール コルマウクル監督 2015年

8848メートルの高山のエヴェレストは魔の山らしい。ふもとではツアー客でごった返し、賑わうのだが、5000メートルあたりにあるベースキャンプを出て登り始めると、酸素不足と高山病と、凍傷に悩まされて、死者が出るのである。

富士山が3776メートルであるので、ベースキャンプ自体が、それをはるかに超えた場所にある。

このドラマは、ノンフィクション風に撮られている。

込み入った筋はなく、ただひたすら寒さや雪崩や氷のクレバスと戦って 頂上を目指すのである。

だが、たとえ頂上に辿り着いたとしても、無事に帰れる保証はさらさらないのだ。帰還途中に、亡くなるものも多いのである。体力が無くなり、人に助けてもらうのだが、他の人たちも、自分を守ることで精一杯である。生命のギリギリのやりとりがクッキリと見られるのである。

やはり酸素だ。酸素ボンベがなくては、上がることも下がることもできないのである。

今すぐに、紅茶と酸素ボンベを持って行くから頑張れ!と励ますベースキャンプのレスキュウ達であった。紅茶って、そんなに体温めるの?紅茶が飲めなかったもの達は、おいてきぼりになって、死が待っているのである。

 

現在は渦中の人の石原慎太郎の小説にも実は「エベレスト」というのがあるんだ。

短編であるので、すぐに読めたが、まあ大味であった。

そこには、魔の山エベレストの底知れぬ魔力が書かれていた。死体がゴロゴロと転がる山道のことが書いてあった。主人公は、登っていくうちに気がおかしくなっていくのである。主人公はこの山の恐ろしさをいろいろ聞いていたのだが、実際の山は容赦なく彼においかぶさってくる。想像を絶する現実の恐怖にのみこまれる主人公であった。登山経験者たちから、「この山に登ったものは何割かの者は気が狂って自ら命を絶つのだ」聞いていたのだった。結構怖い話であった。

あれこの話、前にも書いたわ。ゴメン ゴメン。

 

さて、山で死んだ子供たちの親は、悲惨だよ。スッポコなら一生、山を見上げることはないだろうと思ったりする。しかし山に罪がある訳じゃなし、恨んでみてもしょうもないし。

スッポコの周囲は、ほぼ山なので、地面ばかりみていると首が曲がってしまうわ。

結局諦めて山を見て生きてゆくのだろう。

まあ、遭難寸前の山の景色だって、平地っぽいところでも撮れる範囲であった。作り物であれ、もう少し緊迫を盛って危機感たっぷりにするべきだったのではないか。

子供の頃は、ヒマラヤとして話を聞いたりした。とてもとても高い山がインドの北の方にあってな、

誰もなかなか登れんのだよ。なーんてね。

ゴダイゴの歌にもcelebrationという歌の中で、ヒマラヤにこだまが走るなんていう歌詞があった。ブッダの誕生を祝った歌だと思うが、西遊記という番組だったか。西遊記のアルバムにあったっけ。

もう古ーい話なんですね。

 

 

 



 

 

 

米倉涼子 すごい!

今は、2004年のテレビドラマ 「奥様は魔女」 を見ているの。歌は、「tommy  february」というので、よく分からないのだが、なかなかおもしろいと思う。甘いストロベリー系の歌声で、ほぼ無名というのが良い。米倉の初々しい演技にまさにぴったりでね。

こう言うのって、なんか癒されるのよね。

 

このドラマは特別に良く出来ているのだ。

はじめにピエロや大道芸人たち数十名が芸を見せるが、歌の終わりまで、カメラは嫌味のないすっきりとしたアングルで撮り終えた。普通なら、遊園地のあのジェットコースターなどを撮るように汚らしく俗にまみれて、これでもかとなりがちなところである。それが、とても綺麗に病人が見ても疲れない映像が撮れている。特に最後の炎の画面がうまいとおもった。炎は、それだけでもあつかましいものなのに。

 

 竹中直人も出ていてクリスマスで浮き立つ東京のことをすごく嫌っていたのがおもしろかった。

スッポコもクリスマスで賑わうあの感じが苦手でね。日本中の人が、あの変な三角帽や、ギラつくクリスマスツリーが好きだとは限らない。

 

さて魔女っ子の米倉だが、これは良いよね。可愛かったり大人っぽかったり、まさに七変幻の表情。

綺麗な肢体、持て余している長い足。あああ、あんなボディーになって見たいな。

二、三日前まではモンスターペアラントというのを見ていた。

弁護士の彼女が学校の親達と闘う話だが、これはまあ納得できた。

だが、ドクターXほどの切れ味はまだ出て来ていない。なんか不発のまま終わる爆弾のような。

最近?放送されたドクターXの衝撃があまりに強くて、ボーッとしていて、でもまだ米倉を見たいんで、魔女までさかのぼってしまったのだ。

奥様は魔女」に至っては、めっちゃ可愛い路線で、こっちの方がビックリしている。

甘ったるくバカみたいなファッションにしても、良く出来ているし人間になろうとしている健気さには、何故か胸を熱くするものがある。って大げさだが、ゲーテファウストの逆バージョンと思えるところもありおもしろおかしい。

 

彼女はどういう女優であろうか。私生活はほぼ謎に満ちている。彼女の演技力は何処で培ったのか。

友だちはいるのか。仕事に対しての気持ちの入れようは、どんな風なのか。

あの天然のような不思議な演技は、だれから教わったのだろうか。

彼女は何を感じ何を考えているのか。などなど。

何故と言って、米倉は、あまりに我が娘(長女)に似ていると思ってしまう。

身長も同じ168センチざます。涼子よりちょっと肉好きはいいがね、娘はモデルじゃないからね。目つきが似てるってこともあるし、ボディのバランスの良さはピカイチだからね⭐️

良い加減そうで、律儀で、天然で明るいが、本心をあまり喋らない。

でも、本当は不安におびえている。   そして、月の光のように、美しい。月の光?  いや太陽の光だと余りに尊大過ぎて人間には似合わないからね。朝日ぐらいなら可であろうが。

しかし月だって神秘的であろう。魔女にはぴったりである。

 

 

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殯の森(モガリノモリ)2007年 河瀬真美監督

河瀬のフランス映画ということになっているらしい。場所は、奈良らしい。奈良にはこんな平たい里山が豊富にあるってことか。行けども行けども笹や細目の木が生い茂る雑木林である。

ヘルパーの真知子(尾野真千子)はしげきさん(ウダシゲキ)というお男の世話をしている。彼は若くして奥さんを亡くしていた。

その後認知症を発症したのか。一方、真知子の方も、幼い息子を亡くしていてまだ傷が癒えていないのだった。自分の不注意で息子は死んだ、と夫からも責められていた。こんなこと周りから言われてたら、たまらんで。

さてうだしげきことシゲキだが、この人が老人の中では一番若く殆ど老人ではない。周りはヨボヨボなのに、シゲキだけは、筋肉もついていて、動き方にむだというものがない。

コリャア、おかしげなことだわ。

ある日、アウトドアーが好きなシゲキさんのために真知子ヘルパーは、車で外に出ることになった。

ちょっと、そこまでのおでかけのつもりだったのだが、道が消えた場所で(これ、田舎ではよくあることです。)車が動かなくなってしまった。車輪が、溝にはまってからまわりしてるだけだろう。

スッポコもよくこんなことになってSOSを何度か発している。いやーバツが悪いもんですわ。

スッポコの場合、いつも誰か来てくれて助けてもらっている。いやー運がいいのよ、わたし。

 しかし真知子とシゲキの場合は、良くなかった。シゲキはどんどん勝手に逃げて行方不明になってしまった。驚いた真知子は、必死になって、探し回る。彼は、スイカ畑で、スイカを割って食べていた。

これは人間の手の入った畑であり、人工の範囲内にあったのだ。ここで終われば、なにも苦労はなかったのだ。しかし彼はまたどんどん勝手に山へ入って行ったのだった。そこはもはや、人間の手の届かないような、動物と遭遇するような山の中であった。いや、道はあった。これは人工の道で、人間が通るために作った人間道だ。ただ草木が深く生い茂っている。見ているものもだんだんと不安になる。

問題は携帯が圏外になってしまった事だ。これはもう迷ったという事なのか。

このような状況で、なぜか真知子は、シゲキに頼る。変な事だ。早く人間世界に帰らなければ、本当に迷って帰れなくなってしまうと、見ている者は焦りだすのである。

シゲキさんは元気で、どんどん歩くのである。ヘルパーもただそれについて行くのだ。

これもおかしげである。真知子は進み続けるシゲキさんを止めることもできないのだ。

ついには2人はシッカリと抱き合ったまま暖をとって一夜を明かすのである。これは大変な事に!

やっぱシゲキは只者ではなかったってことだね。

認知症の男とヘルパーが抱き合うなんてね!別に認知症ということにこだわりがあるわけではないのですが。だって、シゲキさんはなんか色っぽいし、結構いい男なんだな、これが。やっぱフランス映画なんで。

いやー、やめてくださいよ、監督。

その後、2人はそれぞれに亡くなった者たちのために、何ができるのかとか、生きている自分たちに何ができるのかとか、いろいろ考えて、回り回って、森の中で、涙を流し、心の浄化をはかるのだった。

ここまで来なければ、解決できない心の苦しみ、悩みというものが2人にはあった。

真知子は、ここに導いてくれたシゲキさんに、感謝して人間として生き返ることができたのであった。

 

スッポコは、この夏の暑苦しい森の中では、撮影などまっぴらごめんです。きっと虫にいっぱい噛まれるんだぜ。

トイレにもいかない、ご飯も食べない、お茶も飲まない。ちょっと2人とも、人間らしいところが省いてあって、へんなかんじ。それに実際の山は、こんなにヤワイ場所ではないとおもうよ。

監督はそれを、いとも簡単に庭を歩くピクニックのように描いている。これはそもそもまちがいだとおもう。

彼女は所詮、都会人なのだろうか。山はただの「手段」になってしまってるんだよ。

山はもっと切なくて、かなしいものだよ。

 

 

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ハドソン川の奇跡 2016年 クリントイーストウッド監督 トムハンクス主演

またもやお前か、イーストウッド監督、いつまでも粘るねえ、ネタぎれせんとみえる。今回はニューヨークを流れるハドソン川とトムハンクスにまで手を伸ばしてきたのです。

我々のトムハンクスにまで。

鳥がエンジンに進入しておこっってしまった飛行機事故の映画ですが、これはパニックものではありません。機長の人間的な、苦しみの面からみてとったストーリーになっています。苦しみは、奇跡が起きて、百五十五人もの乗客が助かった後に、ジワジワとおこってきます。飛行機会社や、警察や、マスコミなどの大勢のものから、機長のとった行動の是非が問われていました。川に落ちれば、とても危険だからです。機体が破壊されたり機体のなかに閉じ込められてしまうこともあるだろうし、氷のような冷たい水が浸水するであろうし、とにかく、皆が「NO!」といいはじめたのだった。

つまり最寄りの飛行場にのどれかに着陸できたはずだ、と警察は判断してきたのです。

わざわざ、水の上に降りなくてもというわけです。エンジントラブル上の疑問も浮上してきます。

二個のエンジンのうち、左エンジンは無事だったはずだと尋問側は主張をし始めます。もしそうなら空港までいけたはずだというわけです。

機長らは、2個ともダメだったと主張し、くいちがいがでてくるのです。

 

機長らは、乗客の命を救ったにもかかわらず、訴えられたのです。というか、もう一度検証のため尋問されるという立場ににおかれたのです。評議会のようなものでしょうか。外ではこの奇跡が華やかにニュースになって語られ、たくさんの人が機長を英雄として褒めたたえている最中のことです。

 

機長は追い詰められ、マスコミによって、我が家にも帰れない状態にあり、家族とは電話で話すのみでした。家族もマスコミの攻撃に会い行動がせいげんされてしまうのです。

電話のみでお互いを思いやりながら、尋問の日はやってきます。

 

面白いのは、別のパイロット達が、コンピューターのシュミレーションで、飛行機を操縦します。

このシュミレーションは、何度も何度も練習をした後に発表されたものでした。

鳥ががとんできます。エンジンにぶつかり、エンジンががこわれます。それでもシュミではうまく近場の滑走路に着地します。

何通りかの方法でもって

何度やっても着地可能と出ます。

ハドソン川不時着はやはりミスであったのか。…

暫くして

しかし実際の事故では、百五十五人もの人命を持って、とにかく命を守ることを考えたと、機長は主張しはじめます。

35秒以上考えたうえに決断したので、シュミの画面でも、35秒をいれて検証し直して欲しいと申しこみます。

すると、どうでしょう。どのシュミでも、飛行場にうまく着陸できないし、街に進入してビルに追突などしてしまうことがあきらかになってきたのです。ビルに追突して市中に墜落と。本当は大惨事になるところだったわけです。

おまけに、やはりエンジンは2個ともこわれていたことが証明されたのです。川から引き上げられたエンジンの検証の結果でした。

こういう場合、ハドソン川に不時着するしか、やはり手がなかったと全ての人が納得する結果となりました。

42年間も安全なフライトをやってきたベテランパイロットは人柄も温厚で、紳士のような白髪の男でした。ハンクスも、負けじと知的で地味なおっさんに変身していました。なんか特別どうってことないんですけどね。

どうってことのない映画って、なんか変わってるなあと思いますよ逆にね。

なんかとても冷静で水のような透明感のある後味があるのですよ。監督も高齢になって枯れてきたのでしょうか?

ただ何か、淡々としすぎていて、話が読み込みづらくて、二度見してやっと意味がわかりました。

やっぱ、おもしろくな〜い、というのが厳しい感想です。いやそうでもないか。けっこういいかも。

 

一度見だけで、わかる映画を作れ、マジソン郡よ。

 

 

 

 

 

こうして、