読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。映画の感想を書いていきます。(^o^)

博士と彼女のセオリー 2014 エディ レッドメイン主演

この人「ファンタスティックビースト」で話題になってる人だよね。相手のフェリシティのことはよく知らないし、何か人形のような顔の人だなと思いました。もう少し個性があったらよいのにと、おもわざるをえません。日本で言ったら堀北真希ってところかも。

大学時代に知り合った二人は、ホーキングが発病するも愛し合い家庭を持つ。深い愛で見守る妻であった。その間にも、ホーキングは次々と素晴らしい宇宙の理論を発表してゆく。

博士号を取り 学会で発表したりして色々よいことが続くのだが、。それは博士の病魔の進行と引き換えにであった!進み過ぎた彼の理論は宇宙物理学の先端を行くもので、本も出て、1000万部も売れたのだった。そんなことをしているうちにホーキングの病状はどんどん悪くなり、たんも唾も自分で出すこともできなくなり、喉が詰まって何度も危機に瀕するようになっていた。とうとう、呼吸の確保をするために、喉の切開をして声を失ってしまった!

妻や子供達とも、もう話すことができない。精神的にも追い詰められて行く博士であった。

 

博士は、体は動かなかったが、なぜか子供がバカスカ生まれるんだな。しかもモテモテ。

 

 

 

と。ここまでは 博士のドキュメンタリー風な作りになっている。以後もやはり同じくドキュメントストーリーが続くのである。
つまりこれは、映画ではなくて、彼の実生活を延々と描いているように見える。つまりツマラナイ。あ、ゴメン!
で、彼は自分の世話をしてくれるヘルパーと仲良くなっていた。

 

 

 

スッポコはこの手の男が大好き。しかしこの頭脳の優れたるソフトな男の発するセクシービームがまぶし過ぎて退散致した。こういうセクシー男が恥ずかしくて恥ずかしくてニガテなのじゃよ。

本物のホーキングが出ているテレビ画面も目をそらしちゃうんだ。直視できない。

 

こどもたちもおおきくなった、ホーキングは妻と別れて、ヘルパーといっしょになる。

元妻は、深く彼を愛したが あらゆる面で 彼の介護は想像を絶するものだった。

彼女は疲れ果てた。子供達の世話もあったことだし。

妻は彼との別れを理性的に考えたのだろうか。実際辛い辛い決断であったろう。

 

ホーキングはその後 エリザベス女王から勲章をもらい ナイトの称号をもらったのだった。

元妻とは、良き友人、理解者であり勲章を受けに二人で出席したのだった。

彼はナイトの称号は辞退した。ナイトとは、多分、貴族の称号のことであろう。

ドキュメンタリータッチの映画で、脚本もないような薄っぺらな映画になってしまった。あっ、ゴメン!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お食事に行くと

主人とよくランチに行くのだが、今日は隠れ家的な新しいお店に行ったんだ。つまり大きな古民家を

ちょいとだけリフォームして八畳十畳のへやを食堂にしてある。勿論畳敷であるよ。綺麗な中庭も付いていてヘえーという感じだ。いよいよ料理が出てきたよ。一番高いコースと一番安いランチとをそれぞれとった。うす味でまあまあだね。ただお客の層が変な感じだ。やたら気取ってるんだ。何があったのか知らないけどね。なにか逸物ありそうな連中ばかりで、ときどき耳障りな自慢話も聞こえてくるしで。

まあ隠れ家だし、道からは見えないし、ちょっと自然派志向のかわった料理かな。ただ、何かプロ意識が少しないような気の抜けた感じがするのが難点だ。ウェイトレスも、もっとシャキッと毅然として、客の横柄さをカットするくらいの気構えが欲しい。クネクネと5歳の子供に給仕するママのように見えるのはおかしいよ。

さてその後小腹がすいたように感じたスッポコは、(先ほどのランチは超軽いものであった、然り)町に出て、またまた主人にコブのように付いて行ってスタバに入った。初めて入ったのは、いつも素通りで、たちよる暇がなかったし特に行きたいともおもわなかった。スタバに関する本はよく読んでいたんだ。その商戦とかにきょうみがあってね。今回は、特別に寄って見る運びとなった。

いやココも大変だったわ。まずレジがのんびりと横柄に構え、なかなかすすまない。なにブってんだ。早くしろと思っていたら、列を乱さないでください、と注意を受けた。それでやっと並んでたら

後ろのカップルの方が先に並んでたので、あんた後です、と言われた。何で?まあいいわい。

都会から帰省してる娘から、ママそんな格好で行ったらあかんよ。と服装の注意をされてた事を忘れてたわ。

でも我が娘の格好ときたらホームレスというか、迷彩のセーターなどを何枚も着込んで、なんか被災ボランテイアのようないでたちだった。まあ、芋ですな。ただ美しさは本当は日本一や。能ある鷹は爪を隠すのですよ。皆さん。

 

わざわざ服着替えて行くんかい。めんどくさー。でも見回すと、みんな若者で、お洒落というか、

雑誌に出てきそうな流行のセンタンを行っているセーターや、パンツを着用しているではないか。

それが何か痛々しくてのう。こんな小さな田舎町のコーヒー屋に必死になって洋服選んで、あれこれコーデをして、ここに来てるんだ。いや服がトゲトゲしててのう、新品ぽいのよ。

そいから向かい側のにいちゃんが、イヤフォンしてノートパソコンを叩いていてね、ドヤリングのきわみでして、隣に女子大生みたいのが二、三人並んでて、こっちにガン見したんで、別の席に変わったんだ。人に見られてると、もうコーヒーも飲めなくなるスッポコなんでね。

 

ガラス張りの一番いい席に陣取った若い女子三人はなんか襟がレースのいい服と本人のみはは思っているだろうブラウスを着ていて、どうだ見てくれと言わんばかりで、オーラのお風呂に浸かっているようにうっとりとして、やはりタブレットのようなものを触っていた。くつろいでます、みたいなオーラで満たされたガラス張りの空間で、裸になってもかいましぇーんぐらいのくつぎのポーズをしているのだった。いや驚いたねえ、彼女らは本当に裸のようにもみえました。

こんな田舎でもうやめてくれ。

みんなパジャマで来てくれ。ありのままでー。

 

感動経験でお客様の心をギュッとつかむ!  スターバックスの教え

感動経験でお客様の心をギュッとつかむ! スターバックスの教え

 

 

 

海の上のピアニスト ジュゼッペ トリナトーレ監督 1998年 イタリア

今更、「海の上」っていう手もあるまいとおもう人もおられるでしょうが、めっちゃ良い映画なのでお勧めしたい。たぶん、ピアノ映画の中では、最高峰であろう。エベレストのような映画。エベレストには行ったこともありませんが。

ティム ロス主演の映画であるが、ティムは、そんなにメチャメチャいっぱい映画に出ていない。

のに、この演技だ。きっと監督が、とにかく凄いんだろうね。

船から陸に降りたことのない男の話だ。本当に土を踏んだ事がない男の話です。

赤ちゃんの時大きな客船のピアノの上にすてられていたのだ。船員達が、懸命に育てて、大きくした。

船の中を自分の世界と思い、広い甲板を走ったり、眠ったり食べたりしている。

コックも、医者も、神父も何でも揃っていて何不自由のない生活ができる。こんな理想郷はめったにない。

彼は知らぬうちにピアノを弾くようになる。そして、海の上のピアニストとなったのである。

彼の演奏はなぜか人を引きつけて、有名になっていった。船の客達の口コミ力だろう。

船の上にすごいピアニストがいるという噂が、陸の方にも伝わってきた。

それを聞きつけたジャズの天才(自称)が怒ってジャズピアノの腕前は俺が一番だと言って、挑戦状を送ってきた。

うけてたったのだった。男として、船の船員達のためにも、また、孤児の意地に賭けてだ。

そして順番に一曲ずつ弾いてゆく。審判は、観客たちである。

この時から二人の男の熾烈な闘いがはじまる。まるでボクシングマッチのチャンピオン戦か、真昼の決闘かと言った様子を呈してくる。よそ見もできず、電話にも出れず、何か魔法に書けられたようになるすっぽこ。皆が生唾を飲み込んで見守るなか、船の男は凄い曲を弾き始める。

えーっ!って感じだ。このようなピアノは空前絶後である。彼は渾身の力でピアノを叩いた。

それは激しすぎて誰もついて行けないようなものであった。

その激しさの中に彼の孤児としての悲しみや苦しみが見えたような気もする。陸に上がれない船の亡霊として 生きていくだけの人生はかくも深刻ではげしいものであったのか。

相手の男も何か苦労人のようではあったが 、人生が船の上だけであるはずがないのだった。この男は、陸での生活もあり、名声を望んでいた。

もう一人の我らが主人公はそんなものはないも同然。彼には本当の名前さえないのだった。

「nineteen hundred 」という変わった名前を付けられてはいたけど。

 

船が古くなり、解体されることになった。ダイナマイトで爆破することに決まったが、彼がまだ船に住んでいる事を確信して爆発をやめさせようとする一人の男がいた。元友人の船のバンドマンであり、彼は絶対に船から降りていないと言いはった。船は動かなくなって何年も経っていた。乗組員たちももう誰もいない無人の船であった。

彼は、でも一人で船にいたのだ。船を降りろと説得する友人に首を振って、ここに残るからという彼。

あした爆破されてしんでしまうよといっても、かれは「ノー」という。いずれにしても、陸では生きられないのであるから。

彼は次の日船と共に海に散って行った。さよなら、nineteen hundred.  これが彼につけられていた唯一の名前。

 

なぜこの映画が胸を打つのか、それぞれに、思いはあろうが 、スッポコはこの障害者のような生き方に星の瞬きのような美しさと同時に、深い悲しみを感じるのだった。

 

 

La Leggenda Del Pianista Sul

La Leggenda Del Pianista Sul

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あん 」樹木希林主演 2015年 永瀬 正敏 内田伽羅出演 ドリアン助川 原作 河瀬直美監督

まず、ドリアン助川とは、川瀬直美監督とは、一体どんな方なのかという事だ。

川瀬は「モガリノモリ」を作った人だって、「そして父になる」も、ね。ふっーむ、なるほどだいぶん分かってきたぞ。「ドリアン」て真面目な人?名前が変だし。「直美」も、よっぽどだしね。

まあ、此の「あん」は、めっちゃ面白かったわ。どら焼き屋に現れた樹木希林のおばあちゃんが、何かあんこ作りの名人な訳よ。それで、どら焼きが、よく売れてバンバン売れるようになるんだが、

店長も、お婆も、訳ありでな。お婆は、若い時にらい病に罹り、園に隔離されて、長年過ごしてきた人だった。ただ近年病気が治癒したという事で外出が許されていた。初めての仕事は、どら焼きやでアンを仕込む事であった。

彼女の特徴は、なんでも耳を澄まして、小豆の声や風の声、いろいろなものの声をよくよく聞くというものであった。

彼女には小豆アズキの声が聞こえてくるらしい。ここまで来るのに、苦労もあったアズキ達であった。

お百姓に蒔かれて、雨や風やお日様に照らされた。土埃を被って目が見えない日もあった。

じりじりと暑い日にお百姓が来て草取りに来て、暑いもんだから、乱暴なことをして帰って行ったよ。

そんな事が、聞こえるらしい。いや嬉しいね。小豆は暑い時に蒔いて、草取り、収穫は、寒風の中って事で、よくぞ言ってくれたよ、婆さんよ!

スッポコやお百姓さんの苦労がこれで報われるわな、マジで。だもんだから小豆には意味が詰まっているんだとよ。

そういえば、映画で「米」っていうのがあるようだ。こんな題名怖すぎるわ。もち河瀬の作品ではないのだが、一体どんな映画なのかね。

米作りの苦労は数限りなく、ああ、ため息がでる。大変な事なんですよ。といっても、スッポコは菜園のみですが。みじかで見ていても、米作りのことはようわからんのよね。

 

らい病がバレて、婆さんはクビになり、園にかえった。

店長は其処を訪れる。

木が沢山沢山ある、広い林か森のような綺麗な場所が、その園であった。

店長の眼は、自分と同じ眼だというおばあさん。

ここに閉じ込められて、もう出られないと悟ったときの自分と同じ悲しい悲しい眼だと。

店長にも悲惨な過去があった。

 

ゆっくりとした語り口の樹木希林は此の映画で、会心の演技ができたとおもったことだろう。

樹木希林の孫の内田伽羅も、高校生役で出演。これも素晴らしい演技であった。顔はもっくんにそっくり。

生きている意味が、そこにある。 人は何かになるために生まれたのではない。風の音を聞いたり、花を見たりするんだ。それに意味があるんだ。生きている意味はそこにあるんだ。私の人生は無駄なものなんかじゃなかった。

婆さんは、園の木にもたれて、一人そう思うのだった。

生を肯定した

嬉しい作品となった。